忍耐
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。
これは新約聖書のなかのローマの使徒への手紙という章節のなかでのパウロの言葉です。
練達とは熟練してその道の奥義に達していることです。
私達が今このパウロの言葉を考えると「どんな苦難があろうとも耐え忍び続けた先には希望があるから頑張れ」とこんなもんでしょう。
私達はどうもすぐ耐え忍ぶという受け身に感じられることに意識がいってしまいがちだと思います。
もともとこの手紙はギリシャ語で書かれていたらしく忍耐とはヒュポネーという言葉で確固たる不変性が生じるという意味があるそうです。
つまりここでいう忍耐とは心に強く希望を持ち勇ましく苦難に立ち向かうという状態なのではないかと思います。ただ苦難が去るのをひたすらに待ち、耐えてその先から希望が近寄ってくるというのではなく自分のなかで確固たる意志を持ち希望へ向かっていくことが忍耐なのだと考えます。
ではどのようにして確固たる意志を持つのでしょうか。
それは信じる事だと思います。
自分達のことを自分達で決めたことを信じることだと思います。
何も信じていない人にはなかなか苦難も忍耐も希望も見つけられないでしょう。何のために生きているのか、行動しているのか、この先に何があるのかなどが決められないからでしょう。
しかし何かを信じる人には苦難も忍耐も希望もある程度明確になる気がします。明確になった希望があるから忍耐ができる。忍耐をしたから希望に近づく。
私達はみなアメフト部に属しています。みなさん信じていますか?信じる先に良いことがあるかもしれません。大学生活。アメフト部をあたらしい宗教だと思って入り浸るのもいいのではないでしょうか。
何を書いているのかわからなくなりました。
夜も遅いので寝ようと思います。
以上誇り高きSF軍代表 平田でした。